宮大工ストーリー

宮大工の手仕事からみえてくるもの -近代建築と対極の世界-

 宮大工が向き合うもの、そのすべては手仕事の道具だ。そして扱うのは一本一本癖のある木。長年培ってきた経験と勘が頼りになる。手仕事の道具を使って木に話しかけ、対話しながら、木の癖や強さを読み取る。その癖や強さを組み合わせて堂や塔を組み上げる。職人技、神業に近いが、その工程は非常に地味で目立たない。

 ノコギリで木を切っていくと、木がノコギリの刃を締め付けてくるのか、それとも切るにつれて開いていくのか、必ずどちらかになる性質になる。どちらの方向になるかは、木の目や繊維によって木の場所によって違いがある。開いているような場所なら良いが、締め付けてくるような場所を無理に電気ノコギリで削っていくと、あるところまでいったら、木が締め付けてくる力に負けて刃が動けなくなり、バーンと跳ね返される。ノコギリなら跳ね返ってくる前に刃を動かせなくなってしまう。手ならば手を伝って木の魂が伝わってくる。こちらが魂を込めて仕事をすれば、木の方でもちゃんと受け取めてくれる、というわけだ。

 鉄やコンクリートのように一律の素材を使い、設計図通りに効率的に仕上げていく近代建築の対極にある。宮大工の仕事は、薄く削る、厚く彫るなど、一ミリの1000分の一の単位であるミクロン単位の精密な手作業が求められることがほとんどだ。

 室町以前までは、大きな木を切る際はクサビを打ち込んで木を割っていた。木を割れば、目の通りが生きたまま部材が取れる、木の目を生かしたまま使えるから強度も強くなる。無理なことを木に求めていないから後で歪みが出ることも少ない。素性の良い木の本質を引き出すには木と会話を重ねる禅問答が必要なのだ。縦引きの大きなノコギリ「オガ」が出てきた頃は、木の目がどう通っていようとまっすぐに木を切ることができる。小さな木からでも柱に使えるような部材が取れる。ただし、そのような便利さの一方で、素性は悪くなる。こういう木は、目が通った木に比べると、強さも劣るし、後になって歪みが出てくることも多い。

 軒下に斗や肘木を置くよりも、釘や金物を使うようなやり方が広まったのは江戸時代。考えてみれば当然だが、金物と木は相性が悪い。金物で留めてしまえば、遊びがなくなり、木の伸び縮みを吸収できなくなる。地震や台風が来ても、外からの力を受け流すことができなくなり、金物のところに力が集中してしまうので、強度が弱くなってしまうというわけだ。見た目でだけでは判断できない古代建築の考え方も納得できるところが数多くあることを知ってもらいたい。

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