職人のなかで、学び、受け継がれていく宮大工の技。決して効率的ではないかもしれないが、時代の変化に応じて変容しながら、確かに引き継がれてきた思いもある。外に開かれてこなかったからこそ、培われてきた、受け継がれてきた、その思いには魅力が詰まっている。宮大工の日常の仕事から生まれた言葉にも納得がいくものが多い。
例えば、『研ぎ澄まされる』という言葉。
曇りなく刃物を研ぎ澄ますと、肉眼では見えないその先の第六感で刃先を見ることになり、目には視えないその先の何かが見えてくる。同時に、その研ぎ方でその宮大工がどのような人間なのかも見えてくる。宮大工がカンナやノミの刃を研ぐことから生まれてきた言葉なのだ。
板につく、というのもそうで、宮大工が、師匠の仕事を見て、マネて、型をしっかり習得してはじめて宮大工としての形になっていく様を表現した言葉だ。体で覚え、優れた仕事を見て、それを盗む。これが宮大工の基本で、口より先に手を動かしながら一人前の宮大工として成長していくことになるわけだ。