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法隆寺に隠された秘伝の技術とは

 宮大工の技が光る建造物は日本に多数ありますが、その最たる例として、奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳太子ゆかりの寺院で、世界最古の木造建築物でもある法隆寺があります。言うまでもなくユネスコ世界遺産に登録されています。6世紀半ば、仏教の伝来とともに、朝鮮半島から造仏工や造寺工らが渡ってきました。朝鮮から日本に異国の建築様式が持ち込まれ、そこから寺院建築が始まります。そんな飛鳥時代のさなかに、法隆寺は建立されました。

 法隆寺の特徴のひとつとして、最高レベルの耐久性と保存性を誇るひのきが使用されていることがあります。ひのきは、伐採してから200年間は強度が増すという、他の建設材料では考えられないような不思議な特質があります。さらに、伐採後1000年経ってもなお、伐採時の強度があるという理想的な木材なのです。法隆寺では、樹齢1000年以上もある、年輪の目の詰まった良質のひのきが使われており、これが法隆寺を長生きさせる要因の一つであることは間違いないでしょう。

 法隆寺の西側には宮大工が代々住み、修繕や点検を行ってきました。その中で、法隆寺に使用されている古びた柱を解体してカンナをかけると、その木材は、生のひのきの香りが漂うほどの状態であったといわれています。実際に木材を取替えたのは、軒などの雨風に直接さらされる部分だけだったようです。

 また、特筆すべきは、その修繕しやすい建築構造です。日本は高温多湿なため、木造建造物は常に、腐朽・蟻害、雨風などによる劣化の危険にさらされています。しかし、法隆寺の補修で取替が必要になったのは、柱の根元・軒先・屋根材料・基礎などの末端部分がほとんどでした。劣化している柱は根継ぎ法で修理し、その他の部材は、矧木や継木によって、新材への取替えを最小限にとどめることができました。その結果、法隆寺では、建物の骨格部分と内部には当初の木材を残すことができています。このように部分的な取替が可能なのは、日本の木造建造物の柱や梁が、継手によって接合されているためです。継手とは、大きく長い梁を、一本で渡せないところの材と材をつなぎ合わせる手法です。

 これが、当初の技術や部材を生かしたまま建物を解体し、修理することを可能にしています。つまり、日本の木造建造物は、最初に建てる時に、後の解体修理を想定してつくられていたということなのです。偶然とも言えますが、将来の宮大工が修繕しやすいように最初から造っていたと考えるのも自然な考え方で、人類の叡智ここに極まれり、といえます。

 もちろん、地震国日本にありながら1400年以上も創建時の姿を現在に留めているそのわけは、宮大工による工夫された伝統構法にあります。五重の各層は上に行くほど細くなっており、中央に心柱と呼ばれる柱があるほかは、各階は独立しています。心柱の周囲は吹き抜けになっており、各階の荷重を支えていません。塔全体の荷重は、心柱の周りにある4本の四天柱と12本の側柱によって支えられています。心柱を中心に組まれた建物は、風や地震などの外力がかかると、振動の波に乗るように建物が揺れ動き、力を分散させ倒壊しない作りになっています。当時の宮大工が知恵と技術を結集し、自然の摂理に抗わない柔らかな伝統構法を用いて建てられた法隆寺は、1400年の時を超えて今なお現存しているのです。

 使用している材の理解、そして気候へも対応し、技術をもって壊れない建物を作る宮大工の技術は、代々受け継がれ、現在も寺社仏閣の修繕に携わる職人たちにその魂が引き継がれています。

 聖徳太子が大工の神様と呼ばれるのも納得ですよね。

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