大陸は土の文化だったこともあり、日本に伝来してはじめて、木だけで組み上げることが始まった。軒を深くして雨風を防ぐ、ゆるやかな美しい屋根の勾配を作りだす、など、そこかしこに大陸の建築のお手本を垣間見ることはできるので、聖徳太子の時代にはさぞかし優れた技術者がやってきたのだろう。
しかしながら、日本の匠もすでに木を扱うことには手慣れていた。そうでないと、土の中に埋めていた柱を柱石の上に載せることなど考えられないからだ。掘っ建て柱のままなら、いくらヒノキが強いといってもそんなに長くは持たないだろう。
法隆寺の五重塔、それ以外の五重塔や三重塔でも、心柱(しんばしら)は途中で継いである。何本かの柱をつなぎ合わせて、一本の心柱にしている。それでも1000年以上もびくともしない。
ここで、つなぎ合わせたところから折れないのか?という疑問が生じる。答えとしては、折れないような継ぎ方、があるということになる。木を継ぐ方法はひとつではなく、目的に応じて様々な継ぎ方がある。
一般的に、貫、長押、土壁または板壁を重視しており、これらの三点セットが揃っていれば、かなりの地震にも耐えられる。
貫とは、柱と柱を水平に結ぶ部材で、建物の強度を確保する上で、大きな役割を果たしている。貫を通すために柱に穴をあける。柱を立てる前に貫穴を掘る。その後、四角の材木を削り、角を落として、八角にして穴を掘る。
長押も柱と柱を水平に結ぶ部材で、柱を浅く切り欠いて、そこに固定するもの。本来は建物の強度を維持する役目を兼ねていた。
土壁は、竹や木を編んで木舞という下地を作った上に、壁土を塗るもの。
このような基本的な木組みの技術を活用し、持久力のある木造建築物ができあがる。世界遺産が多いのもうなづけるというものだ。