材木という自然の生命をいかに長く持たせるか ―― 千年のヒノキには、千年のいのちがある。建てるからには、建物の生命力を第一に考える。「樹齢千年の木は、千年保たせねばならん」。木というものと向き合い、木を利用して建物を造る宮大工の心構えがここに表れている。
風雪に耐えて立つのが建築本来の姿で、木は大自然が育てた生命で千年も千五百年も山で生き続けた命だ。その生命力を建物に活かすのが宮大工の務めだ。
「そやなかったら、木に申し訳が立たんとちがいますか。人間のいのちははかない。けれど、木は偉いです。千二百年以上も生きながらえている。美しいこれ以上ない見事な姿で、すくっと立っている」、と法隆寺昭和大改修棟梁の西岡常一氏が生前語っていた言葉は宮大工の目線を何よりも的確に表現しているといえよう。
千三百年経ったヒノキでも、二分ほど削るとぷーんといいにおいがしてくる。独特の香りだ。生きているという証拠でもある。法隆寺昭和の大改修の際には、五重の塔解体のときに、瓦を下すと、いままで二寸ほど下がっていたものが、全部は返らないが半分ぐらいは毎日毎日少しずつ上がってきた、と西岡氏は語っている。
「神様や思います。千年たっても生きている。」
そのヒノキを神様と捉える目線。それが宮大工の目線だ。