おすすめの寺社仏閣

未完成の美こそ日本の美学 日光東照宮「逆柱」

 日本建築には、知らなければ「あれ?」と感じるような不思議な建築物がいくつも存在しています。その一つが日光東照宮の「逆柱」です。

 日光東照宮の陽明門は、12本ある柱のうちの1本だけ彫刻の模様が逆向きになっている逆柱となっていることで有名です。

 本来逆柱は、木材を建物の柱にする際、木が本来生えていた方向と上下逆にして柱を立てることを指しますが、日本の木造建築の世界では妖怪を呼んだり家に災いを呼び込んだりする縁起の悪いものとしてとらえられていました。そのようなものを、なぜ当時の宮大工は、日光東照宮のような由緒ただしい建物に使ったのでしょうか。

 それは、日本に古くからある「未完の美」という独特の感性によるものだと考えられています。鎌倉時代に兼好法師が書いた徒然草の中でも「すべて、何も皆、事のととのほりたるは悪しきことなり。し残したるを、さてうち置きたるは、おもしろく、生き延ぶるわざなり。」という一文が出てきますが、これは、「何事においても完璧に整っているものはよくない。やり残しがあった方が味わい深く、廃れずに残っていくものなのだ。」という内容で、完全なものは決して良くはないと唱えられ、「内裏を造る時も、必ず1か所は造り残しをする」と書かれています。

 日光東照宮の逆柱も、逆柱というものをあえて用いて、完璧な建物を完成させないことで、未完成であることを重視したのでしょう。

 「未完の美」の考え方の根底には、「完璧なものは、神の技である」という日本人の中にある信仰も深くかかわっています。神の領域に人が立ち入ることは、タブーとされていました。あまりにも東照宮が立派であったためか、こういった逆柱というひとつの瑕疵をつくることによって、神ではなく人が造ったことをわざと証明したのだと考えられています。

 また、日本人の完成させない美学が転じ、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という言い伝えも生まれました。東照宮の宮大工は、この言い伝えを逆手にとり、あえて柱をこのように本来の完璧な状態ではない形にすることで災いをさけるという、いわば魔除けのために逆柱にしたとも考えられています。「建物を完成させなければ永久に崩壊はしない、そうでありますように」という、手掛けた建物の長寿を願っての、いわばお守りのようなものです。

 「建築物を完成させることはNG」という思想は、かなり浸透していたようで、京都市東山区の知恩院御影堂の屋根にはわざと屋根に瓦が4枚置きざりになっていたり、東京都指定有形文化財である目黒雅叙園の百段階段は99段しか作られなかったり、あえて不完全なもののまま留められている建築物は日本各地に多数あります。バルセロナにある有名なサクラダファミリアもそのような発想に基づいているのではないかとも考えることができます。

 他にも、満月でなく三日月や欠けた月を面白がった清少納言の随筆や、不完全さをよしとする茶道のパイオニア千利休が唱えた「わびさび」など、完璧ではないもの、少し欠けているものを、日本人は昔から好んできました。 宮大工が手掛けた当時の建築物の中にひそむ、彼らの未完成の美学や洒落っ気を発見して、日本人の独特の感性を味わってみる。日本人の美学は素晴らしいと思います。

関連記事

PAGE TOP